松坂屋の記憶
松坂屋が今月26日をもって閉店した。松坂屋の前身、野沢屋時代を含めると144年もの歴史に幕を閉じた。閉店の前日、何度も目にしてきた思い出の松坂屋にお別れをしてきた。店内は、インフォメーションで受付をすれば写真撮影ができた。今回は写真を中心にして展開していこうと思います。(いつもブログの文が長ったらしい、読みにくい、と友人に指摘を受ける。)
松坂屋を外から見た様子。建物の外壁はアールデコ調で、非常に貴重な建築物ではあるが、保存の話はないようだ。夏に外壁保存の話が持ち上がっていたが、結局その後の話は聞かないので、やはり新たな商業施設に変わるようである。上層階をマンションにするという話もあるらしいが・・そういえば表参道ヒルズの上層階は、同潤会青山アパートメント時代の住民がそのまま暮らしているようだ。 こうして近代建築は惜しまれながら消えていく。
屋上にある看板。かなり年季を感じさせる。屋上は残念ながら、曇り空で私がかつて横浜高校の校歌を聞いた時のような青い空は見ることができなかった。屋上には、ゆずの壁画があり、キャリーバックをひいた、遠方からやってきたゆずのファンらしき人を多く見かけた。ゆずの北川もまた横浜高校の卒業生であり、岡村中学の卒業生でもある。ゆずは松坂屋前でストリートミュージシャンとして巣立ったが、閉店日に顔を見せることはなかった。
屋上にある野沢屋時代のなごり。よくみると蓋に野沢屋のマークがある。今回の閉店で初めて知った。左に映っているベンチに座りながら、あの日空に響き渡る横浜高校の校歌を聞いた。丁度、10年前横浜ベイスターズの優勝記念セールで松坂屋は大いに賑わったらしい。その年は、横浜高校の甲子園春夏連覇があり横浜が大いに沸いた年だった。その時のエース、松坂はドラフトで横浜入りはならなかったが、まさかMLBでここまで活躍するとは、10年前は想像がつかなかったものだ。
エスカレーターの装飾。シンプルながらとても味のあるデザイン。おそらくこの後にできる商業施設はエスカレーターにこういった装飾を施すことはないだろう。 昔ながらの建物は、小さなところに凝っている。 デザインのイメージは港町をイメージしたものということだろうか?
エレベーターの上に取り付けられている装置。針が動いてエレベーターが今ある位置を指し示してくれる。店内は閉店セール、また休日ということもあり多くの人で賑わっていたが、この装置を写真に収めている人を多く見かけた。この装置もだがこの装置が付いている土台の装飾も昔ながらのレトロなデザインが施されている。松坂屋の名物だった。
裏手のあまり目の付かない階段にある階を表示したプレート。これも細かい部分まで装飾が行き届いている。百貨店は昔は普段着では行かないような場所だったという。(サザエさんなんかでもデパートにいく時はカツオやワカメは普段よりいい服を着ているし、帽子を被っている)今の百貨店からしてみるととても不思議なように思えるが、確かに外壁からプレートまで洋風仕様の敷居の高い感覚の場所だったら普段着(それこそ戦前の世界になるが)である和服は場違いだから(?)正装していた。その名残が昭和30年代頃まであったのかもしれない。
屋上から見たイセザキモール。ここも店が次から次へとめまぐるしく変わっている。左端に映っている、不二家ビルもさりげなく近代建築の1つなのだが、何年か前にかなりきれいに1階のレストランが改装された.手前に映っている 松坂屋の別館は残るのだろうか? この日は閉店セールが手伝っていつも以上の賑わいをみせたイセザキモール。横浜駅西口にお客を奪われたとはいえ、かつての繁華街の意地があるのかこの街もなかなか頑張っているようだ。
ライトアップされた外壁。アールデコ調の外壁の渋さを際立てている気がする。この店が閉店する頃、この店の前でゆずのストリートライブが行なわれていたらしい。今は一時より減ったものの、こういったストリートミュージシャンをよく人通りの多い繁華街でよく見かけた。03年の紅白歌合戦にゆずが出演したのだが、この松坂屋前で中継ライブを行なったという。その年の紅白は見ていないのでよく知らないのだが。イセザキモールは早朝より夜の方が賑わうが、早朝の冬のイセザキモールは、松坂屋の店の前の木の葉が落ちてアールデコの外壁がよく見渡せたものだ。冬の日が昇る頃のなんともいえぬ空の色が好きだった。
イセザキモールを入るとすぐマツザカヤの赤い看板が目に入ったものだった。この当たり前のような光景がもうすぐ消えてしまう。そしていつかここに松坂屋があったことさえ忘れてしまうのだろう。今回久々に松坂屋とイセザキモールを訪れて、やはりあの頃とは違う何かを感じた。屋上であの日みた横浜高校の校歌が聞こえてきた青空を見ることが出来なかったように、思い出の場所にその当時のままの景色をそっくりそのまま再現することなど不可能なのだ。 ただ数々の思い出を作ってくれたこの街と松坂屋の記憶は大切にしていきたい。
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